ブックレビュー ダークホース 好きなことだけで生きる人が成功する時代

この本、伊藤羊一さんの最初の文章だけ読んでも震えたけど、一気読みした今、霧が晴れたような爽快感と感動。そして、世界中の人たちに手当たり次第感謝したい気持ちー!!笑

謎が解けたというか、自分ではこれが正しいと思いながら、周りから感じる違和感やもどかしく思っていたことが、天動説から地動説の転換と同じくらいの転換だったと位置付けられて…もうね、年始から感無量です!!!涙

教育、育成に関わる人は絶対読んだほうがいいし、なんかモヤモヤしている人、生きづらさを感じる人みんな読んだほうがいい!

著者はハーバード教育大学院で「心・脳・教育プログラム」を指揮する個性学研究所所長。こういう権威からの科学的裏付けは、会社の頭硬い人も説得できるぞ〜!というにんまり感があるのも正直なところ!😁

特に「世界一ではなく、最高の自分になる方法

ここには身震いました!だって、私がやっているストレングスファインダーの資質勉強会や入門研修では、そのイントロ資料のタイトルは

ストレングスをつかって『最高の自分』になろう!

だからです!😭わたしの活動すべての根底に、終始流れているものだから。

ダークホース達に共通する「充足感の追求」。

これは、私が歩いてきた道にもまったく当てはまります。

研究マネージャー時代に、誰からも求められていないのに、勝手にヒアリングと称してストレングス面談を始めたのも、勝手にマネージャー達を誘って勉強会を始めたのも、心理的安全性のkindle本を書いたのも、みんなこれだったのか!と膝を打ちました。この小さな種まきがいろんな形になって、思いもしなかったところに自分を連れてきてくれたことも。

ちょうど年末に仲良い同僚がストレングスを診断したので、そのトップ10を私なりに読み込んであげたら、彼のトップの着想を活かしためちゃ良いアイデアをくれたところで、それがまさにこの本と重なる個別化思考のアイデアで、それを実行することを考えるとワクワクします!

会社という組織自体、どうしてもこの本でいう標準化システムの思考から抜けられないところがあって、いつもそこに違和感を感じていたところですが、個別化の方向に舵を切ることの重要性を主張できる、めちゃくちゃいい根拠が手に入りました!!

「これ読んで!!時代はこっち、個別化ですよ!!」と、勧めまくりますー!!

ダークホースたちの事例はめちゃくちゃ面白いしワクワクするのはもちろん、これまでの組織中心の標準化システムと個別化システムが、地動説と天動説とまったく同じ構図というのも震えます! 

私たち、それくらいの歴史の転換期にいるってことですよ!そして、気づいている人たちは地動説側にいるから、今の社会ではなんか苦しいし、違和感を感じてきたわけです。でもこれからは地動説、真実はそっちなんです!

自分の充足感を追求するだけ!目的なんて探す必要はないんです!充足感を満たす活動をいろいろやることが、一体自分をどこに連れていってくれるのか、そう考えるだけで、もうワクワクしますー❣️❣️

長いですが、マーキングしたところを。

さらに深く掘り下げるにつれ、ダークホースたちの充足感が偶然ではないことが明らかになった。それは彼らの選択だったのだ。この「充足感の追求(the pursuit of fulfillment)」という、何よりも大切な決断こそが、ダークホースを究極的に定義づけるもの なのだ

「充足感」が先。成功は後からついてくる

充足感の追求こそ、最高の人生を歩むチャンスを最大限に増やすことになるのだ

彼らは本来の自分であること――充足感」 を求めて努力したのだ。個性がが重要なのだ、という観点を死守して。

ダークホースたちは、それぞれの個性を生かして充足感を得ようとする。その充足感が、成功を得るうえで最適な条件をつくり出すというのだ。これを効果的におこなうためには、可能な限り徹底的に自己分析をする覚悟が必要だ。自分の興味と欲求を把握することによってのみ、本来の自分自身に最適な機会を見極め、それを受け入れることができる。

広く受け入れられた標準化されたシステムは、われわれの前進を阻んでいる。標準化された成功への道が充足感をもたらすという考えに傾倒する社会に未来はない

一方、ダークホース的な考え方は、 制約のない、達成感と喜びに満ちた社会への扉を開くものだ。 目の前に、人間の潜在能力に対するひとつの見方が差し出されているのだ。

あなたが「好きなこと」「本当にやりたいこと」は、あなた個人の感情面の〝核〟を成している。あなたが何を求め、何を求めないか。これによって、あなたという個人が固有の存在として定義づけられるのだ。

あなた独自のやる気を発揮することによってのみ、あなたは本来の自分の存在意義も、自己としての完全性も実感できるからだ。ダークホース的な考え方から引き出される主要な課題は、個性を生かすことであり、この課題遂行が始まるのは、「自分を本当にやる気にさせるもの」 を見定めようとあなたが決めた瞬間だ。

ダークホースたちにとって、情熱は 多次元的で動的なもの であり、なおかつ、常に 本人の意志で制御されるべきものである。

 ダークホースたちが明らかにしているのは、情熱はあなたが従うものではなく、あなたが自分でつくり出し燃え立たせることが可能なものだということだ。

自分の中の小さなモチベーションをすべて幅広く受け入れたとき、あなたは大地に杭を打ち立てるだろう。  世界に向かって、「これが本当の私です」 と宣言する杭を。

ダークホース的な考え方では、リスクは「フィット」 によってきまる。

つまりフィットは、 個人と機会の多次元的な相互作用 なのだ。その両方が、フィットを決めるのに等しく重要な役割を果たす。――手と手袋のように。

あなたが大胆な行動をとるときは、どのような場合でも、世界に向かってあなた自身がこう宣言するときでなければならない。 「これが、私の進む道です」

「人の強み」と「やりたいこと」は、基本的にまったく別のもの である。

あなたは自分の強みを、内省を通してではなく、行動を通して見定めるのだ。

強みは動的なもので、鍛錬によって向上し、放置されれば劣化するからだ。自分に合った戦略を選ぶうえで最も重要なポイントは、現在あなたがもっているスキルを向上させ、知識を深めること、つまり、★あなたの強みを変化させることにある。

自分に合った戦略を見つけるプロセスは、発見と修正を何度も繰り返すという点で、極めて動的である。

対処法がひとつある。それが「目的地は忘れろ」 という指令だ。 旅路の果てを見通すのではなく、目の前にあることに集中せよ、

目標は、常に個性から出現する。さらに厳密に言うと、能動的な選択から生まれるものだ。

目的地が要求するもの、それは数多くの未来の戦略である。そして、それらはすべて、介在する戦略を実行した結果次第で変わるものだ。

あなたにとってアクセス可能な頂上や谷は、隣人にとってアクセス可能な頂上や谷とは違うのだ。 そして、二人として同じランドスケープを共有することがないのなら、当然、成功への普遍的な道などあり得ないということになる。  

オックスフォード英語大辞典は、「充足感」をこう定義している。「潜在能力を充分に伸ばした結果として得られる満足感や幸福」──悪くない定義である。だがもちろん、どのようにして得られるかには言及していない。  どのようにすれば、あなたの潜在能力を充分伸ばし、満足感と幸福感を得られるのだろう

標準化されたシステムでは「目的の追求が、やがて充足感に繋がる」と請け合っているが、これも 空約束でしかない。だからこそ、標準化時代に充足感を感じることが、これほどまでに少なくなってしまったのだ。  

対照的に、ダークホース的な発想が燦然と輝き出すのが、この「どのように」という問題を考えるときである。その発想は、個々人の潜在能力を余すところなく開花させる方法を明快に示している

「自分にとって最も大切なことで上達せよ」 と。  これが、ダークホースから出された個人軸の成功のための処方箋だ。

古い考え方は「特別な人間だけが、才能をもっている」 と主張し、新しい考え方は「すべての人間が、才能をもっている」 と主張する。双方の主張が共に真実であるはずがない

ダークホース的な考え方によると、 誰もが特別な才能をもち、充足感を得ることができ、組織は個人がそれぞれの潜在能力を余すところなく伸ばすことができるよう手助けすべき だということになる。

多面的なプロファイルは、個性学のなかでひとつの定義をもつ専門用語である。その定義は、「どのような人間にもある多面的な特性」 であり、「それぞれの側面に相関性はほとんど認められない」

標準化されたシステムは、あなたの能力を余すことなく伸ばし発揮する機会をあなたから騙し取っているのだ。

才能に定員制があること自体が、能力のある多くの人々を確実に底辺に押し留めているのだ。  このシステムが、能力主義ではなく才能の貴族主義(talent aristocracy)」 と呼ばれていたら、おそらく、われわれはこのシステムに対してもっと警戒心を抱いていただろう

われわれに必要なのは、健全な個性学である。これによって、真に民主的な能力主義を支える基本構造を、絶えず改良し純化することが可能になるのだ。

万人にそれぞれの多様な潜在能力があるという信念に基づき、「充足感」の価値を承認し、ひいては「万人が成功できる」機会提供システムに道を開く。この民主的な能力主義は個人から承認を受け、個人的によって実施される。

ダークホース的なシステムのもとでは、組織が負う最大の義務は「平等なフィット」の提供であり、各人が負う最大の義務は「個人的に責任をもつこと」である。

平等なフィット」があれば、あなたの勝利は誰かの敗北にならない。ダークホース的なシステムのもとでは、あなたの目標は国内最高になること(ネガティブサム・ゲームの最たるもの)ではなく、「最高の自分」になること だ。しかも、最高の自分になれる周りの人々の能力を制限することのないプロセスを通じて。

ダークホース的なシステムのもとでは、「効率性」ではなく「適応性」が組織に義務づけられる。 民主的な能率主義において、個別化は何か高級感を出すための派手な追加機能でもなければ、ありきたりのアフターサービスでもない。むしろ、「平等なフィット」と充足感を得る普遍的な権利を保障する、唯一の方法である。

「ジェファーソンは、人間が幸福を『追いかける』のは、単なる憧れのような曖昧模糊とした思いによるのではなく、むしろ、 誰もが人間の本質として備えている必然性によるものと語っている。磁石の針が常に北を指すのと同じことだ、と。これは物事の規範となる法則であって、これに従って人間は舵をとらなければならないということだ。

組織にすべての個人の充足感追求を保障するよう義務づけ、同時に、市民に不可欠の義務として充足感を義務づける社会は、あらゆる場合において、才能開花と充足感のポジティブサム・ゲームを実施することになるだろう。――ひとつの決定的な前提が成り立つならば。すなわち、 個人的な充足感を達成した人は誰でも、その人を支えた社会に対して恩返しがしたいと自然に思うようになる、という前提である。

標準化されたシステムのもとで、共に生きる市民が他者への慈善の精神を抱くことに、あなたは期待をかけたいだろうか。定員とエカントによって、社会における最高の機会を得ることを阻まれた大多数の市民が、ごく一部の特権階級の充足感のために犠牲を強いた社会へ、恩返しをしようと強く願うことに期待したいだろうか

それとも、誰もが思い通りに充足感を追求できるように支えられていると感じる、「平等なフィット」に傾倒する社会のなかで、共に生きる市民が他者への慈善の精神を抱くことに期待をかけたいだろうか。

特に最後のところはグッときます。今の標準化システムで自分を押し殺して成功した人たちは、だれも社会をよくしたいとか思わないでしょうからね。

ジェファーソンの提唱した「幸福の追求」。今こそ、その考え方が生きる時代なんですね。

そうそう、この著者トッド・ローズさん、前に「平均思考は捨てなさい」を書いた人だったんですねー!この本も、かなり衝撃を受けてしばらく周りに勧めまくっていたました!こちらもおすすめです!

 

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