働くということ「能力主義」を超えて
最近この本を知って、何度も読み返すうちに、色々なモヤモヤが晴れてきています。先日ハッと気づいたのは、自分が現場でやってきたこと、そしてやりたいことは、人材育成ではなく、組織開発なんだとということ。
研究から人事部の人材開発を主としたグループに異動して、選抜型研修とかリーダーシップ研修の運営企画などを担当しながら、どうもモヤモヤしたものを感じていた理由がわかったのです。
人がどうやったらその人の特性を如何なく発揮して、生き生きと働けるか?
このことをずーっと考えて自分なりに組織作りをやってきて、最終的には、
「人は誰しもその存在だけで素晴らしい」
これをしっかり認めて、メンバーが仕事仲間として、今ここに自分と共にいてくれることをまずはありがたいと感謝する。一緒にいてくれる人に対して、存在承認することを第一にした関係性作りをすることが、まずは何よりも大事だと思って拙著にも記載しました。
なのに、人事部での人材育成というと、どうしても一つの評価軸だけで物事が進められていく空気を感じて、体が拒否反応が示してたんだ。
どんな人たちとの関わりの中にいるか、どんな環境に置かれているかで、その人の能力だって現れるものは変わってくるはず,というのはそのとおりで、誰しも経験がある。
だけど、「優秀」か「そうでない」か、一旦その人につけられたラベリングはなかなか外れない。これじゃ誰だって息苦しいよ。
個人の能力の問題に矮小化せずに、それぞれの特性にあわせて泥臭く調整しようとすること。大変だけど、これをあきらめないことが現場での組織作りの肝ってことですね。
響くポイントがいっぱいありました。
現場の皆さんに足りないものがあるとするなら、それは、インプットではなくアウトプットの場のほうです。分かりやすい成果を出す、なんて小難しい意味ではなく、「自分たち各々が持ち味を持ち寄って、すでにこんなふうにあんなふうに、どうにかやってきたよね」ということを吐き出してもらい、耳を傾け、承認し合う=行為を理解し合う、ということです。
これが、個人の能力から他者との「関係性」にフォーカスしていく際に、地味で、一見ばかばかしく、また牧歌的にも思えることなのですが、根源的に必要になる営みです。
もう、すでに在るよね、有るよね、いろいろやってきたよね、とハグし合うような気持ちが、組織開発をうまくいかせるエッセンス。
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他者と働くとは、「他者の合理性」を承認し合うために、吐露できる場があってはじめて為せるのです。
問題は何かが「足りない」箇所で起きるのだと思い込んでいました。もうすでに在(有) ると気づいていないことこそ、問題につながりやすいってわけですね。
働くということ」に欠かせないのは、「一元的な正しさ」を強制力をもって教え込むことでも、それを体現する「高い能力」「強い個人」でもありません。むしろ、どんなため息にも耳を傾けるような余裕、懐のようなものが、望まれます。相手の口を塞ぐようなことが蔓延っていたら、それは「働くということ」がうまくいっていない 証 です。相手が安心して真意を吐き出すことができる空間をつくった上で、それによって意見を交換すること。その際に、変えるべきは相手(他者) ではなく、まず自分のモードを問うてみる。
…
真面目で一生懸命な私たちが引き続き頑張るとしたら、この点です。誰かのものさしに合わせて、人を「選ぶ」ことでは決してありません。
「他者と働く」にあたり、他者の真意に耳を傾け合うことは、「仕事ではない」と誰が言えるでしょうか。つべこべ言わずにやれ、とは権力者の言い分です。黙々と働く労働者を良しとしてきた時代は過去にはあったでしょうが、今もその価値観で、複雑化した社会を乗り切れそうでしょうか。
人間が人間である所以は、漢字の「人間」のとおり、まさに、人と人との間で見えてくるもの。
働くということは、必要な機能をいろんな人で持ち寄って、なんとかみんなで仕事を回して行くこと。今なんとか回っていることだけでも実は尊いこと。
1人の能力を一元的に高めることが唯一の正解ではない。大切なことを気づかせてくれて、かつ、働いている全ての人を労ってくれている、そんな素敵な本に出会えました。
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